2011年 04月 14日
運・鈍・根…でもやっぱり最後は運
運とは…言わずもがな“運の良いこと”“ツイテイルこと”
鈍とは…周囲の雑音に対して“適度な鈍感さ”を備えていること。
根とは…文字通り、“根気よく成し遂げる意思の強さ”
“粘り強く努力する強さ”
いくら、運が良くても、周囲の雑音でつぶされてしまったら元も子もない。
才能があって、運が良くても、根気がなければ、成功まで
もうあと一歩努力すれば…ということで成功を逃してしまう。
そして何よりも、根気があって、周囲の雑音に惑わされない
パナソニックの創業者 松下幸之助氏も運を重視しておられた。
『人間はやっぱり運や。松下電器は運のええ奴で固めまんのや』
運というのは、科学的にも解明が難しいのだが、こればかりは
決まり決まった行動の方程式があるわけでもなく、生まれながら、
先天的に持って生まれた素質みたいな要素もかなりの部分を占める。
時に難を乗り切り、そこから好転させる能力=運の強さみたいなものは
やはりひと言では説明できないものを感じる。
ラッキーみたいな運はあざなえる縄の如しだが、
ピンチに救いの手が自然と巡ってくるのは本当の運の強さ
九死に一生を得た体験の持ち主はやはり強い。
人間はやっぱり運や!という言葉には、説明できないけれど最後は運なんだ!
運のええ奴で固めまんのや!
運は運を呼ぶ!やはり運のいい人間を集めないと繁栄しない!
達人は運のいい人と交わって、運のパワーを集める。
凡人は人の運をねたみ、批判をし、足を引っ張ろうとする(苦笑)
運のいい人間は人の運の強さを認め、凡人は人の運をけなす。
やっぱり最後は運、運なのである!(ペコリ)