政経分離論

日本の衰退はズバリ!東京一極集中にあり。

東京を政治、経済の中心地にしてしまったことが原因だと思います。

かつて、江戸時代、江戸は政治、大坂は経済と政経の役割を
分担していて、お互い切磋琢磨していたのである。

早く言えば、江戸の人間に経済の何が分かる!という
アンチ幕府の自負が関西人にはあった。

株式市場の原型である仕組みを最初に作ったのも堂島米市場であり、
日本各地の物資が集まる経済の中心地であったのである。

“武士は食わねど高楊枝”

身分制度では偉そうにしていた大名家も上方の豪商に
米をお金に換えてもらわないと、生計は成り立たなかったのである。

江戸時代は鎖国であったが、今やグローバルの時代。

江戸時代の国内産物の集積地で経済を発展させた大阪は
よくよく考えてみれば、東京に比べてアジアに近い。

アジアの物資や富を大阪に集積させることが大阪の復権につながるし、
そうすることで地理的にもアメリカに対するアジアの窓口にもなる可能性がある。

思い切って財務省や金融庁、経済産業省を一気に関西に移すくらいのことも必要。

それができないのなら、橋下知事の提唱する、大阪都特区構想に財務省や金融庁、
経済産業省の権限を移すことことも効果的…

なぜ経済は関西や大阪だと感じるのか?

経済の中心地が東京に移って以来、新しい業態や仕組みといったものは
欧米からの移入や請け売りであって、創造的なものはない。

その点、以前は色々な製品やビジネスモデルの発信は関西からであった。

第3セクター(1871年 京都)、ガス会社(1874年 神戸)
サウナ(1883年 京都)、私鉄(1884年 阪堺鉄道開業)
市街電車(1895年 京都)、スイミングスクール(1889年 大阪)
食堂車(1899年 京都~三田尻)、映画会社(1907年 京都)
タワー(1912年 大阪通天閣)、食パンの工場生産(1918年 大阪)
分譲住宅(1925年 大阪)、即席カレー(1926年 大阪)
レビュー(1927年 宝塚)、地下街(1942年 大阪梅田)
ワンマンバス(1951年 大阪)、屋上ビアガーデン(1954年 大阪)
即席らーめん(1958年 大阪)、回転寿司(1958年 大阪)
カップ入り清酒(1964年 神戸)、自動改札口(1967年 阪急千里線)
カラオケ(1972年 神戸)
 
これ以外にもターミナルデパートやキャバレーなど関西発祥の製品や
ビジネスモデルは枚挙に暇がないくらいである反面、東京発祥の
ビジネスモデルなんて比較に値しないくらいである。
 
ノーベル賞受賞者も東大に比べ京大系が圧倒的。

その京大も東大から教授を連れてきたり、文部科学省の顔色を伺うようだと
独特のユニークな発想や研究が廃れていく。
 
江戸、東京はあくまで政治の世界であって、元来地方からの
人の寄せ集め集積地であるから、財産的価値を生み出す
経済的観念には少々欠けると思うのはひいきの引き倒しかな(苦笑)

東京には政治だけを任せておくくらいの開国以来の発想転換をしないと…
 
アジアの経済的発展をうまく取り入れていかないとこれからの日本は成り立たない。
 
液晶のシャープやパナソニック、淡水化技術の日東電工や東洋紡績も本社は関西。
 
アジアや中東が羨望する技術を持っている中小企業も関西に多い。
 
そこに金融や経済の機能も東京から持ってくるくらいの思い切った
政経分離論を実行すれば、関西空港の重要性も増してくる。
 
ついでに、食の都として、海外から日本の食を求めてくる需要と
海外の食材を一手に集積できるグローバル版天下の台所構想も
実行に移していただけると観光立国戦略にも役立つはず。
 
東京ばかりに目を向けず、経済は関西に任せる。
 
羽田空港の国際化より関空の活性化の方がよほど効果的ではなかろうか(ペコリ)
by mitsuketai | 2010-04-25 14:30 | ビジネス