北風と太陽!

北風と太陽!皆さんもよくご存知のイソップ寓話。

北風と太陽のどちらが旅人の上着を脱がせることができるか?

北風は力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。

しかしそれは逆効果で寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、
北風は旅人の服をとうとう脱がせることができなかった。

それに反して、太陽は燦燦と照りつけた結果、暑さに耐え切れなくなった
旅人はあっさりと上着を脱いでしまった。

威圧や恫喝で臨むことが全てではなく、時には寛容な態度の方も効果的。

今回の検察不祥事、事実はすべてが解明されてからでないと
論評はできないが、強引に自分たちのシナリオ通りに自白と
証拠固めをしたとしたら、それは北風と同じ。

昔々、検事志望の人には人間的魅力にあふれる人が多かったと聞いたことがある。

司法修習の時に、人間的魅力あふれる先輩検事にあこがれる人が多かったらしい。

極悪な容疑者でも最後は検察官の人間性についホロリとしてしまう。

まさに太陽のごとく…

今回の不祥事は逮捕された主任検事だけでなく、事実を把握しながら隠蔽と
とられてもおかしくない、大阪地検の上層部にも問題はあるかもしれないが、
この事件をもって、検察全体=悪という構図にされるのもよくない。

社会正義のために、日夜がんばっておられる検察官も多いはず。

それを『十把一絡』(じゅっぱひとからげ)に考えられることが恐ろしい。

マスコミの中には、ついこの間まで村木さんをまるで犯罪者扱いしていたかと思うと
今度は手のひらを返すように被害者扱いして、追求の矛先を検察に…

背景も事情も考えずに、単純な言動に流されるデジタル的思想の蔓延が怖い。
 
今回の事件の原因究明を国民に分かりやすく説明できるようにお願いしたい。

元来、司法とは、事件の起こった背景や動機をきちんと解明して、
情状を斟酌して、当然受けるべき罪刑を決めることが筋道であるはず。

主任検事ひとりに責任を負わせるだけの“とかげのしっぽ切り”に終わってほしくない。

彼も社会正義の実現を目指して、難関の司法試験を突破して
崇高な志を持って検事の道に進んだはずである。

なぜ、彼が今回のような行動をとらざるを得なかったのか…?

きちんとした解明が村木さんに対する検察がなすべき謝罪の方法のひとつ。

検察を表現するキーワードとして、「秋霜烈日」がある。

「秋霜烈日」とは,秋におりる霜と夏の厳しい日差しのことで刑罰や志操の厳しさ。
 
今回の捜査にあたっては「秋霜烈日」の厳しさの中に、太陽のような高潔さ、
時には心の大きい慈愛の心をもって、きちんと情状を斟酌して、誰もが
さすが!と納得できる結論を出していただきたいと思う。
 
それこそが検察の威信回復であり、社会正義の衰退に傾くことを防ぐ方法ではなかろうか(ペコリ)
by mitsuketai | 2010-09-23 11:30 | 社会問題