体罰ではなく、心で諭す指導者の心得!

大阪市立桜宮高校の体罰による自殺問題が世間を騒がせている。

まず、体罰は絶対にあってはならない。

信頼関係があれば体罰は許されるという風潮もいけない。

体育会系ならば許される体罰もある!というのも言語道断!

そんな中で、ふと思い出したのが、ロンドンオリンピックの
ボクシングで金メダルを獲得した村田諒太選手の高校時代の恩師のお話。

以下、ヤフーニュースの中からその一部を抜粋させていただくと…

歴史的快挙を成し遂げた村田とボクシングとの出会いは、中学生までさかのぼる。

「何かやりたいことはないのか?」

そう聞く先生に、髪の色を茶色に染め、ケンカに明け暮れていた少年は、「ボクシング」と答えた。

それが始まりだった。高校ボクシング界では名の知れた強豪・南京都高校に進み、
ここで『人生の師』と仰ぐ武元前川(たけもと・まえかわ)氏と出会い、その素質が開花した。

こんな逸話が残っている。あるとき村田が後輩に鉄拳を振るっていると、
武元先生は村田を呼びつけて諭(さと)した。

「おまえは他人とは違う能力を持っている。その拳(こぶし)は正しいことに使ってこそ価値があるんだぞ」

大目玉を食らうと覚悟していた村田は、二度と自分の拳を無為(むい)に振るうまいと決めた。


この時、村田選手は歯をぐっと食いしばって、殴られるのを覚悟したという。

村田選手に殴られた後輩もきっとそういう気持ちだったのだ!ということを言葉で悟らせたのだ。

その後も節目、節目で武元先生に指導された言葉の数々がその後の人生に生きているという。

武元先生はその後、ロンドンオリンピックでの愛弟子の快挙を見ることなく亡くなられている。

先生が亡くなられて、直接指導を仰ぐことができなくなっても、生前に必要なことを
言葉や態度できっちり残されている。

以前、大変お世話になった整体の大先生も、愛弟子の若い先生に多くの言葉を
場面、場面で残されていると聞いた。

今、若い先生に身体のケアをお願いしているが、いつもその話題に花が咲く。

自分も大先生に色々とご指導を受けたことは今も心に残っている。

色々な場面に行き当たると、あの時、あの場面で大先生はきっちりおっしゃっておられたと…

その場面がきっちり、よみがえってくるというからすごい!

肉体は滅しても、その魂はきちんと受け継がれていくのである。

これが指導であるべきだ!

体罰は身も心にも傷が残る。もちろん言葉も使い方次第では心に傷が残ることもある。

ところが、心にストンと落ちて、いつまで残る、あとでしみじみと有難味が分かる言葉は大きい。

今回の体罰問題で、一番危惧しているのは、指導者の先生方が委縮すること。

中学生や高校生、はたまた若者に対して指導がなされずに、野放図になることが怖い。

だからこそ、言葉で心で愛情を持ちながら、厳しさを持った指導が望まれる。

今回の当事者の顧問の教諭は当然、その責めを負わなければならないが、
厳罰を以って、責めや責任を負わせるだけは“とかげのしっぽ切り”で
本当の問題解決にはならない。

問題を起こした教諭にも、隠ぺいした当事者にも、大きな心で諭して
矯正させていかなければならないことは当然。

声高に恫喝して、厳しい処分を課すだけでは意味がないことは賢者なら分かるはず!

昨今、何事もうわべだけの処理で済まされることが多くなってきたことは誠に嘆かわしいこと。

心の底から反省をし、人間の尊厳さを真剣に考えて償う気持ちに生まれ変わらせることが肝心。

厳しさの後には、ホロリとさせる諭しの心が何より大切。

この人格形成こそが教育の根幹であり、今の世間に最も欠けていることではなかろうか?

文部科学省も含め、心で諭す指導者の育成を教育改革の一環として考えてほしいと願ってやまない(ペコリ)
by mitsuketai | 2013-01-10 20:26 | 社会問題