武雄感動物語その8 長崎街道 過去から未来へ!

私は今回、武雄にお伺いして、長崎街道のルートをはじめて知りました。
私はてっきり小倉から博多、唐津から佐賀を経由して、嬉野、大村を
通るルートだと思っていました。

今回、武雄にも長崎街道の史跡があることを教えてもらい、
はじめて小倉から飯塚へと入り、山間部を佐賀から北方、塚崎
彼杵から大村に入るルートであることが分かりました。
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温泉街から少し入ったところに、ルートを解説した史跡と
遊歩道には往来を描いた絵の陶版画が敷かれています。
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宮本武蔵シーボルト坂本龍馬をはじめ、長崎に遊学した
諸藩の俊英やこの街道を使って、長崎を窓口に海外からの
産品や蘭学をはじめとする西洋の学問が伝来していったのも
このルートです。
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海外に門戸を閉ざしていた江戸時代、海外からの唯一の
情報ルートがこの長崎街道でした。

当時は塚崎宿と呼ばれていた武雄は、知らず知らずのうちに
こうした情報や産物に少なからず触れる機会があったのではと
推論してしまいます。
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その当時からの面影が、町の旧街道には残っています。
ただ、単にそうした人々が往来しているだけでも、町自体も
元気になったり、町の学問的な素養や文化度も高まります。

今は、JRの長崎本線は武雄の手前、肥前山口駅で
佐世保線と長崎本線に分かれて、長崎への鉄道は
武雄を通っていませんが、長崎道は武雄から大村を
経由して、長崎に通じています。
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そして、長崎新幹線の長崎・武雄ルートの着工が決まりました。

これを機会に、先人達が長崎から武雄を通り、博多・小倉を経由して
いったように、ますます長崎から武雄への人の流れができると
思います。

普通、博多から武雄、長崎への人の流れを考えますが、
東京、大阪、はたまた中国からは空路 長崎に入り
そこから武雄への流れが案外多くなる可能性があると思います。
この点はなかなか発想の転換をしないと思いつきません。
(実は、私も今回、この視点を武雄在住の方に教えていただきました。)
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長崎がエキゾチックな町であるのに対して、武雄は史跡、風景、
温泉と地元の豊富な食材を生かして、癒しの町、買い物、レストランに
しても粋な町づくりを進めれば、大きく発展するような気がします。
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今回、武雄の訪問を通じて、人、モノの資源には可能性を大いに感じました。
あとは、足りないものを外部から誘致して融和し、その素材を
地元リーダーの方々が料理人として、時には市民と協働して、お客様である
市民や観光客をどう満足させるかにかかっているような気がしてなりません。

おいしいもの見つけ隊どっとこむ
by mitsuketai | 2006-03-04 16:43 | 武雄感動物語